ブラウブリッツにとって大きく躍進した2013年
長く苦しい2011年と2012年を、言い方は悪いが、「何とか生きながらえ」ることができたブラウブリッツ
フロントと選手にとっては、後がない今季だった。
1月には元日本代表選手であり、ギラヴァンツ北九州をJ2に昇格させるなどの実績のある与那城ジョージ監督の就任を発表
それにあわせ、待望であった秋田出身のMF熊林親吾を完全移籍で獲得
その後、次々と新しい秋田のサッカーを作り出すピースとなる選手を発表していった。
開幕前ASCでのvsカンビアーレ戦
ジョルジ監督が得意とするパスサッカーは練習や練習試合から遺憾なく発揮
一目見て、テクニカルで攻撃的、楽しいサッカーになるというのは容易に想像できた。
しかし、開幕前に難敵
3年連続となる大雪が秋田市にも直撃し、ホーム開幕戦の会場となる八橋陸上競技場は1m近い積雪で埋まった。
一時は球技場を諦めて、会場を変更するかもと言う話にもなりかけたが、
フロント・サポーター・関係者各位の協力でなんとか当日には試合が開催できるまでには除雪が完了した。
当日は小春日和となり、初春の日差しの元、ホーム開幕戦を勝利で飾る。
開幕当初は若いサイドバック陣の活躍により、コンパクトなパスサッカーで開幕ダッシュに成功
直前にTDKSCから応援し続けてくれたサポーター仲間が急逝するという悲しい出来事もあった。
その直後のAC長野パルセイロ戦は、試合終了間際の劇的な松田のゴールで、ゴール裏を笑顔に変えた。
しかし、攻撃的なサッカーは次第に研究され、今季最高の入場者数(4800人)を記録したvsツエーゲン金沢戦は1-4と大敗
続く、vs藤枝MYFC戦は3-6と派手な打ち合いの末に大差で敗れた。
得点力はあるものの、なかなか守備が安定しない中で、6月は3連敗の後にホームで引き分けと、苦難の6月となる。
しかしながら、試合を重ねるごとに少しづつやり方を変え、地力の付いてきたチームは次第に守備が安定するようになり、
天皇杯前にはJFL最大のライバルであるソニー仙台をホームで4-0と撃沈
続く天皇杯では、数年後にライバルとなるであろうレノファ山口を八橋で迎え撃った。
(レノファ山口は来季JFLに加入し、着々と力を付けるであろう。数年後が楽しみである。我々も越されないように頑張る。)
天皇杯2回戦では仙台でベガルタと対戦
0-3と力の差を見せ付けられるも、ブラウブリッツ秋田の魅力であるしつこい程の「秋田らしい」応援で仙台サポーターと交流した。
なまはげが仙台ゴール裏に乱入!
ブラウブリッツ秋田ゴール裏にあいさつに来てくれたベガルタ仙台には感謝!
天皇杯の戦いを終えても、JFLのライバルチームとの厳しい戦いは続く。
JFLに秋田が昇格した頃では考えられないほど、戦力が拮抗し、少しの差で勝負がついてしまうようなピリピリした戦いが続く・・・
しかしながら、今入る選手を最大限に活かし、底上げされたチームは手堅く勝ち点を獲り続ける。
当時首位だったカマタマーレ讃岐を八橋で2-1で下し、「ブラウブリッツ秋田は弱くない!」とJFLに再び声を張り上げた。
終盤戦では、得点力はあるものの、ロスタイムに失点し、勝ちを逃すといった試合が続く。
アウェイの長野戦では敗戦し、目の前で長野の優勝を見せ付けられるという憂き目にも合う。
(この試合は双方にとって不幸な結果だったと思う。)
そして、長年秋田のスコアラーとして支え続けた松田正俊の引退表明・・・
ホーム最終戦でJFL200試合100ゴールを達成し、「持ってる男、松田正俊」は現役生活を退く。
その2日後のJ3入会決定
そして今期はJFLで黒字決算を達成だという嬉しいニュースも。
最終戦は佐川印刷にリベンジを果たされるも、勝ち点50の8位で2013年をフィニッシュ
2010年とほぼ同じ結果となったが、TDKSCからの遺産を使っての2010年と、
2011年からの全く新しい土台作りから始まったクラブチームとしてのブラウブリッツ秋田が結果をだした今年2013年とは全く意味合いが違う。
経営面では競技成績と同じぐらいの結果も出し、ブラウブリッツ秋田の基礎が出来上がったといえる素晴らしい2013年だった。
来る2014年はJ3初年度、J3オリジナル12の一つとしてブラウブリッツ秋田は挑戦する。
土台は整った。
後は上っていくだけだ。
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